ブルゴーニュ・パストゥグラン[2005]年・ドメーヌ・リュシー・エ・オーギュスト・リニエ元詰 Domaine Lucie et Auguste Lignier Bourgogne Passetoutgrain [2005]ブルゴーニュファン大注目!パーカー5つ星生産者でパーカー氏に「途方もなく素晴らしいワインを生産している。」と言わしめた、あのユベール・リニエの2人の孫の名が付けられた新ドメーヌから、モレ・サン・ドニ村内のAOCブルゴーニュ区画の樹齢45年のV・Vで造られた(タンク内で12〜18ヵ月熟成)、年産さずか2000本の究極パストゥグランのグレイトヴィンテージ[2005]年が少量入荷! クブルゴーニュ パストゥグラン[2005]年 ドメーヌ リュシー エ オーギュスト リニエ元詰 リュシー・エ・オーギュスト・リニエ Lucie et Auguste Lignier 2004年、34歳の若さで天国へ旅立った、ドメーヌ・ユベール・リニエの元当主ロマン・リニエ。彼は生前、自分に万一のことがあった場合、実質的なドメーヌ運営の一切を、妻であり、弟子であり、同志であったケレン・リニエに託す手続きを済ませていました。それは、他界当時4歳であった長女リュシーと2歳のオーギュストへ託された、父としての意志でもありました。 ロマンから4年間にわたって栽培と醸造をみっちりと学んでいたケレンは、新たにDRCの薫陶を受けるなど独自に研鑽を重ね、また、ドメーヌ・ユベール・リニエの栽培長ドミニク・ポワロットからも熱い支持を得て、確固たる醸造家の道を歩みはじめました。在りし日の夫の夢であった「さらにエレガントで美しいワイン」を自らの手で実現させ、いつか子供たちに、夫婦の志を引き継ぐために。 尚、彼女がドミニクとともに栽培から醸造、ビン詰めまですべてを手がけたのは、正式に新ドメーヌへと移行した2006年からになります。 2005年はドメーヌの移行期にあり、栽培と醸造は祖父ユベール・リニエとドミニクが、熟成とビン詰めはケレンとドミニクが担当した、新旧リニエの合作ヴィンテージとなりました。 ■ 栽培 厳格なリュット・レゾネ ■ 醸造 天然酵母のみで発酵。除梗100%。すべて清澄し、赤はノンフィルターでビン詰め(白は年、ワインによる) ▼ 以下インポーターさんの資料より Lucie et Auguste Lignier解説 リニエ家とそのワインを巡る変遷 <主な関係者> Hubert Lignier(ユベール・リニエ)・・・一代でブルゴーニュを代表する生産者となったリニエ家当主。2007年6月現在72歳Romain Lignier(ロマン・リニエ)・・・ユベールの3人の子供のうちの末っ子。1996年頃からドメーヌ継承開始。2004年に他界Laurent Lignier(ローラン・リニエ)・・・ユベールの3人の子供のうちの長男。アルベール・ビショ社ディレクターKellen Lawton(ケレン・ロートン)・・・アメリカ人。1999年にロマンと結婚してケレン・リニエとなる。1973年3月25日生まれの34歳Bill Downie(ビル・ダウニー)・・・オーストラリア人。ヤラ・バレーの「デ・ボルトーリ」の製造部長Dominique Poirotte(ドミニク・ポワロット)・・・2004年からユベール・リニエの栽培長。ラ・プス・ドール栽培長も務めた、この道25年の名人。醸造にも明るいLucie Lignier(リュシー・リニエ)・・・2000年に生まれたロマンとケレンの長女Auguste Lignier(オーギュスト・リニエ)・・・2002年に生まれたロマンとケレンの長男 1996年 ユベールからロマンへの相続を開始するため、EARL Hubert Lignierという会社を設立。社長はロマンで、株主はロマン74%、ユベール13%、フランソワーズ(ユベールの妻)13% 畑の総面積は約8.5haで、うち6haはユベールがEARL Hubert Lignierにメテイヤージュ賃貸(収穫の3分の1相当分をユベールに地代として現物返済する契約)、1.5haはロマンが所有、1haは第三者所有畑をメテイヤージュで賃借 1999年 ロマンとケレンが結婚し、ケレン、ブルゴーニュに来る。ケレン、ロマンから栽培と醸造を学ぶ 2000年〜2002年 ケレン、ロマンから栽培と醸造を学ぶ 2000年、リュシー誕生 2002年、オーギュスト誕生 2003年 ロマン、1月にEARL Hubert Lignier社のユベールとフランソワーズ持ち分の株式を譲り受け、100%継承完了 ユベール、3月に老後資金の安定調達のための販売会社SARL Lignier-Lawtonを設立。株主はユベール99%、ケレン1%でケレンを社長にする。 EARL Hubert Lignierの造るすべてのワインをこの販社を通じて販売することを意図するが、失敗。ケレン、ユベールに不信感が募り、後に禍根を残す ロマン、収穫期に脳腫瘍で倒れる ケレンとその子供たち、ロマン所有の1.5haを相続(結婚する時にロマンは、万一彼に何かあった場合、すべてをケレン(と将来の子供たち)が相続できるように、フランス法上の特別な結婚形態を選んだ)。 2004年 ロマン、2月に帰らぬ人となる。享年34歳 ケレン、ボーヌの醸造学校CFPPAのBPREA(栽培・醸造コース)を修了 栽培長としてドミニク・ポワロット入社 醸造家としてビル・ダウニー招聘 <この年のワイン造り> 栽培はユベール・リニエ、ドミニク・ポワロット 醸造はユベール・リニエ、ビル・ダウニー、ケレン・リニエ 熟成・ビン詰めはケレン・リニエ 2005年 ユベールとケレンの不仲顕著に ケレン、DRCとアンヌ・グロで収穫や発酵・醸造の短期研修 ケレン、12月にEARL Hubert Lignier社の社長に就任。ユベールが猛反対し、これを巡ってユベールとケレンの確執決定的に。長年ユベールと一緒に働いていた秘書等4人の従業員もケレンに抗議の退社 ドミニク・ポワロット、ケレン支持を表明。以降のケレンにとって大きな支えとなる ビル・ダウニー、この年の醸造を最後に招聘終了 <この年のワイン造り> 栽培はユベール・リニエ、ドミニク・ポワロット 醸造はユベール・リニエ、ドミニク・ポワロット、ビル・ダウニー (ケレン・リニエは醸造方針の話し合いに参加したのみ) 熟成・ビン詰めはケレン・リニエ、ドミニク・ポワロット (ユベール分のワインはユベールがビン詰め) 2006年 ケレン、5月に販社SARL Lignier-Lawton社長を辞任。ローランがアルベール・ビショ社ディレクター兼務で社長となり、SARL Hubert Lignier Pere et Filsに社名変更。以降、ネゴシアンブランド管理会社的な位置付けとなる 栽培からビン詰めまで、すべてケレンとドミニクで行う (ユベール分のワインはユベールがビン詰め) 2007年 ケレン、1月にEARL Hubert LignierをEARL Lucie et Auguste Lignierに社名変更 4月、新ラベル完成し、リリース開始 ■ 今日の畑について 畑の総面積は約8.5ha。うち6haは変わらずユベールの所有で、社名変更したEARL Lucie et Auguste Lignierにメテイヤージュ賃貸(収穫の3分の1相当分をユベールに地代として現物返済する契約)です。この契約は2020年まで有効です。1.5haはロマンから相続したケレンの自社畑。1haは第三者所有畑をメテイヤージュで賃借しています。■ バックヴィンテージについて 所有者は、3分の1がユベール、3分の2がケレンとなります。ユベールとのメテイヤージュ契約によって、1996年以降のヴィンテージはすべてこの比率で配分されました。2003年、ロマンがそれまで保有していたこれらの在庫が、ケレンに相続された次第です。Lucie et Auguste Lignierラベルもののうち、1998年〜2004年ヴィンテージのすべてのワインのコルクは、Hubert Lignierの刻印があります。2005年ヴィンテージより、刻印もLucie et Auguste Lignierとなります。 Bourgogne Passetoutgrain ブルゴーニュ・パストゥグラン モレ・サン・ドニ村内のACブルゴーニュ区画Aux PierelotsとAu Gueに合計0.56ha。平均樹齢45年のVV。タンクで12〜18ヶ月間熟成。年間生産本数2000本。 ブルゴーニュファン大注目!パーカー5つ星生産者でパーカー氏に「途方もなく素晴らしいワインを生産している。」と言わしめた、あのユベール・リニエの2人の孫の名が付けられた新ドメーヌから、モレ・サン・ドニ村内のAOCブルゴーニュ区画の樹齢45年のV・Vで造られた(タンク内で12〜18ヵ月熟成)、年産さずか2000本の究極パストゥグランのグレイトヴィンテージ[2005]年が少量入荷! 年代 造り手 [2005]年 ドメーヌ・リュシー・エ・オーギュスト・リニエ 生産国 地域 フランス ブルゴーニュ 村 AOC ブルゴーニュ パストゥグラン タイプ 赤・辛口 ミディアムボディ 内容量 750ml 【赤 ミディアム】 【ブルゴーニュ パストゥグラン】 【AOC パストゥグラン】 【リュシー エ オーギュスト】 【ドメーヌ リニエ】 【】